ワタクシが100歳まで健康寿命を目指す理由♪


あまり自己開示は得意な方ではないのですが。この話しは一度きりになると思います。 これは何故、百歳なのかという理由です。

ゆらぎ予防整体 よつ葉堂 橋本博人

私の人生のテーマに掲げている【100歳まで健康寿命】には2つの理由があります。

*まず一つ目は、 私の幼少の頃の思い出になります。 今は全く発作のようなものは出ないのですが、3歳から18歳まで小児ぜんそくになり、布団の中で過ごすのが多い子供時代でした。

何か新しい習いごとをしたくても、発作が出るからダメ。諦めなさいと。夢と希望に溢れた幼少期には辛い出来事でした。

このころの思い出が強烈にあります。

小学校の高学年の頃は、家庭も底の頃で病院に連れて行くタクシー代が無かったんです。 母親はお金無いまま私を連れてタクシーに乗り、降りる時に「実は持ち合わせが無いのですが後で必ず払いに行くので、すいません」とタクシーの運転手の方に謝っていました。

そして、後日払うというかたちをとっていました。 この時のすまないことをしたなぁという思いで、この時受けた恩は必ず親孝行という形で返さないとならないと思っております。

小さな頃の弱々しい自分がウソの様な、健康的な大人としてできるだけ長くイキイキと生活を送る。そして次のバトンを渡す。 これがこれが一番の親孝行と思います。

*そして、二つ目の理由は、 私は18歳から20歳まで、音響の専門学校に通っていました。 その時の同級生に小倉という名前のヤツと仲良くなりました。 彼は茨城の農家の家庭の子で、府中本町にアパート暮らしながら学校に通っていました。

他の友達と彼のアパートに遊びに行った思い出があります。 お昼はいつも小倉と食べていました。

2年が経って就職活動をしてそれぞれの会社が決まったので、卒業して晴れてお互い別の会社で仕事をするということになりました。学校を卒業してからたまに会ったりもしていました。 その時はなんら片鱗も感じなかったのです。

そして6ヶ月位経過した頃、同級生が内臓の病気で亡くなったと知りました。初めて聞いたとき全く理解ができませんでした。 一切病気の兆候も知らず、人づてで亡くなったことを知らされても実感というものが感じません。

一人の青年の存在が急に無くなる。 この上ない虚無感というか、言葉にできない悲しさが襲い掛かりました。 他の同級生はこのことをどう思っているかは知りませんが、私は同級生の早すぎる死がショックでならなかったし、今の今まで忘れることは一度もありません。

21歳でこの世を去らなくてはならないというのは、本人も、ご両親も、なんとも無念であったことでしょう。

だから私は彼のぶんまで長生きしなくてはならないのです。「絶対に」何があっても。 正直悲しいですけど、この出来事があるからこそ、前向きに生きることができるのです。

「悲しみの果てに何があるなんて、俺は知らない。見たこともない。ただあなたの顔が浮かんで消えるだろう」

「涙のあとには、笑いがあるはずさ。本当なんだろう、何時もの、俺を笑っちまうんだろう」

絶対に百歳まで健康に生き抜きます。


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